【俳優・坂口涼太郎】“キレイな人”のキーワードは後ろ姿「その人の生き方すべてが出る」
INTERVIEW

2025.09.03

【俳優・坂口涼太郎】“キレイな人”のキーワードは後ろ姿「その人の生き方すべてが出る」

8月6日に初のエッセイ本『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』を上梓した坂口涼太郎さん。

テンポの良い文章と、坂口さんのセンスが光る言い回しで心にスルスルと入ってきてくれるエッセイは、笑いもちりばめられながら、日々の生活の中でハッと気づかせてくれるようなヒントもたくさん隠れています。

そんな気づきも与えてくれるエッセイを、坂口さんは一体どのような思いでしたためたのか、お伺いしました。

足湯に浸っているような気持ちになれるエッセイ

――エッセイはどういったきっかけで書き始めたのですか?

mi-molletさんのインタビューを受けた時に「文章を書いてみませんか?」と言っていただいたのがきっかけです。書くということは全然してこなかったんですけど、書いたら「じゃあ連載で出していっちゃいましょう」と。半年ぐらい書きためたところから連載がスタートし、1年間毎週掲載していただきました。

――全然書いていなかった、ということが信じられないぐらいです!

本当ですか? 嬉しいです。でも、読書は大好きなのでよく読んでいましたね。文章を書くのがうまくなるためにはどうすればいいか、という質問に対して、町田康さんが「とにかく読め」と。「どう書くかではなくて、読むことだ」とおっしゃっていたのを見て、確かになあ、と思いましたね。読んでいてよかったです。

――今回はどういったことを意識して書かれていたんですか?

読んでいる時だけは生活のいろんな忙しさから離れられるような…。で、自分の過去を思い出しながら、「私もこんなことあったな」とか、「この人いつも恥ずかしい失敗ばっかりしてるなあ」と笑っていただけたらいいな、と。通底して足湯に浸かっているような気分になっていただくことを意識して書いていた気がします。

――リズム感が良くて、それもすごく心地よかったです。

それは私が話をしている時の感じを意識していたからかもれしれません。語り掛けるというか、「ちょっと聞いてもらっていいですか?」という気持ちでちゃぶ台の前でワーッと書いていたので、そのリズムなのかな、と思います。

あきらめることをあきらめていない

――「あきらめ活動」略して「らめ活」だとか、素敵な考え方がたくさん詰まっているな、と思ったのですが、こういった考え方はどのように養われていったんでしょうか?

本を読み返した時に、「あきらめるって言ってるけど、結局、この人全然あきらめてないじゃん」という印象だったんですよ。

それはあきらめることをあきらめていないというか。例えば、この容姿で生まれてきたんだったら、今生はこれをどう生かすのがいいのか、ということをやっている気がするんですよね。三浦じゅんさんの「あきらめるということは明らかにすることだ」という言葉を知った時に、「あ、このことだな」と。

あきらめてやらなかったこともあるんですけど、それって結局は「自分に合ってないことだな」とか「これ続けていても多分うまくいかないな」ということを、自分で分かっていたからなんですよね。だけど実際には、続けていても芽が出ないな、この仕事はちょっと向いてないなということも、ちゃんと継続してやっとけばよかったのかな、と思ってしまいがちじゃないですか。あきらめたことに対して、少し罪悪感みたいなものがある。

でもそれを感じる必要は、多分ないんですよね。それはちゃんと自分の精神と肉体を見極めた上でのあきらめだったんだということを明らかにしたんだ、という気づきがあって。そこから今の生活のいろんなことに対してすごくいい感じになっているな、という感覚があります。

――年齢を重ねるごとに、それが研ぎ澄まされている感覚もある?

生きていればいるほど、自分に合うもの合わないもの、好きなもの嫌いなものが分かってくると思うんですよ。頑張ってこの人に合わせようとか、この場所にいようとか、この環境に自分をなじませようとあまり思わなくなってるんですよね。

ただ、コミュニティによってやっぱり役を演じ分けるというか、それは俳優という仕事をやっているからより感じますけど、みんな役を演じているという意識ぐらいがちょうどいいんじゃないかな、と思ったりします。

――それはもう結構自然体でできてる感じなんですね。

そうですね。でも、昔から会う人によって、パーソナリティーがわりと変わっていた気がして。ちょっとゲーム感覚で、相手が私にどういう存在でいてほしいんだろう、どういう言葉をかけてほしいんだろう? ということを感じて投げ返す、というのを遊びみたいな感覚でやっていた気がします。話し方とか、キャラもその人それぞれで全然違ったんですよね。でも多分、皆さんも自然とやられていることだと思うんです。家族の中にいる自分と、学校とか職場とかの中にいる自分って、多分違うんですよね。その時々で自分が無理しないでいられるようなスイッチがいっぱいあるような感覚でやっている気がします。

自分のことは自分しか“よしよし”できない

――美容についてもお聞かせください。エッセイでも書かれていらっしゃいましたが、肌荒れに悩んでいらしたとか。でも、今はお肌がすごくキレイですよね。

それもあきらめることをあきらめていなかったんですけど(笑)。子どものころからすると、いま、こんなに肌へのコンプレックスが薄らぐとは思っていませんでした。

本当にひどい状態だったから、人に勧められたことはとにかくやっていましたね。でも、大きかったのはやっぱり洗顔をやめたこと。私には合っていたみたいです。ただでさえ薄くて弱い敏感肌なのに、洗顔でいいものさえも洗い落していたことに気がつきました。自分の肌の本来の力を強めるには、落とし過ぎない、洗いすぎない。

洗顔をやめて1週間ぐらいで乾燥が収まって、肌がピーンとして。そこからあんまり肌荒れしなくなりましたね。化粧品を試すのも怖くなくなりました。

――現在のケアとしてはいかがですか?

最近はあまりケアをしすぎないようにはなっていますね。以前はパックも毎日やっていたんですけど。乳液や化粧水も本当にちょっとでいいんです。最近は肌が頑張ってくれている感じです。私の場合はやりすぎると、肌が疲れる気がしていますね。

――今気になっている美容法はありますか?

どれだけそぎ落とせるかということですね。頭皮を動かしたりするのも、余計に下がってくるらしいんですよね。皮が動くということはたるむということだから、もう顔は触らない。

本当に美術工芸品を扱うような気持ちで自分を触る。白い手袋をつけて触れるぐらいの感じでやりたいですね。

――自分を大切に扱ってあげる?

そういうところで「よく頑張ってるよ」ってご自愛してあげる。自分をよしよししてあげる。自分のことは自分しか“よしよし”できないですからね。

いつでもちゃぶ台の前にいるように

――「ご自愛」にもつながるのかもしれませんが、お忙しい中でリフレッシュなどはどのようにされているんですか?

別に仕事だからリフレッシュできないというわけじゃなくて、働きながらもリフレッシュはできたりするんじゃないかと思っていて。

自宅にいるぐらいリラックスできるようなアイテムを持ち歩くとか、そういうことかもしれないですね。例えばドラマとか映画の現場に行く時に、私は家からコーヒーや好きなハーブティーを持っていくんですけど、それは多分、自分を落ち着かせたいからなんですよ。自分がどんなところにいても、自分が好きな飲み物とかお茶を飲んでいる時は、ちょっとちゃぶ台の前でのんびりしてるような気持ちになれるんですよね。自分ののんびりタイムは何でできているんだろう、とか、家から何を持っていったら、どこにいても落ち着けるんだろうとか…それが植物だったり、お香だったりするかもしれないし、フレグランスだったりするかもしれないし、アクスタだったりするかもしれない。でもそういうものがあると、ちょっと落ち着きますよね。働いていて、大変だと思うんですけど、そうやって気分転換しながらやっているな、と感じます。

――最後に。坂口さんは“キレイな人”と聞いてどんな人を思い浮かべますか?

後ろ姿がキレイな人。後ろ姿ってその人の生き方すべてが出るような気がするんです。やっぱり人間って前面ばっかり気にするんですけど、半分は後ろなんですよね。でも後ろ姿って、鏡や写真では見られるかもしれないけど、自分では一生目視することができません。だから、いかに気をつけられるか、ということなんですよ。

みんな、顔をクローズアップして見がちなんですけど、実は全体の1割ぐらいじゃないですか。顔以外の部分がその人のものすごく美しい部分かもしれない、ということを忘れがちだと思うんですよね。自分が見えないところにどれだけ想いが行き届いているか、それは思想、美学だと思います。

Profile
坂口涼太郎
1990年生まれ、兵庫県出身。2007年にダンサーとして舞台デビュー。以降は俳優としてのキャリアを着実に積み上げ、映画『ちはやふる』シリーズ、連続テレビ小説「おちょやん」「らんまん」、ドラマ「罠の戦争」など話題作に多数出演。現在放送中の「愛の、がっこう。」では竹千代を好演している。

撮影/渡会春加
取材・文/ふくだりょうこ

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