2021.09.17
自撮りする私と、自撮りしない私
長田杏奈のセルフケアノート
著書『美容は自尊心の筋トレ』で、世の中に新しい美容の価値観を生み出した人気の美容ライター長田杏奈さんが、今おすすめしたいコスメや、大切にしているマインドまで、思いつくままにお話ししていただく、連載「長田杏奈のセルフケアノート」。コスメとマインドに分けて公開中。
第五回目は、抵抗感がある方も多いであろう「自撮り」について。 自撮りをすることで、心がどう動き、どんな発見があったのか、実体験を元に語っていただきました。
profile
美容ライター
長田杏奈
雑誌やwebを中心に美容やフェムケアにまつわる記事、インタビューを手がける。
著書に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)。責任編集に『エトセトラ VOL.3 私の私による私のための身体』(エトセトラブックス)。趣味は植物栽培。
Mind
自撮りする私と、自撮りしない私
自分で自分の写真を撮り、ときにSNSにアップする。その一連の動作は、未だに自意識過剰なナルシストの振る舞い、というレッテルを貼られやすい。自画像やセルフポートレイトには高尚でアーティスティックなイメージがあるのに、自撮りセルフィーとなった途端、似て非なる印象を受ける人が多いのはなぜだろう。
「自撮りはセルフケア」と説く米国のアクティビスト、ケイトリン・リッチの言葉を引用しよう。
“実は、内省、セルフケア、抵抗運動には、自画像がパワフルなツールとして役立つ。何世紀も前から、女性は自画像によって自分たちの身体やストーリーに関する権利を主張してきた。(中略)自撮り写真をシェアしてもしなくても、自撮りはセルフケアプランのひとつとなり得る。女子に向かってきみたちは魅力的じゃない、実力不足だ、なんて平気で言い続ける世の中では、自撮り写真は女子に必要な清涼剤となる。今度自撮りをするときは、まず自分自身の好きな部分や自分がしたいことを全て思い出してみて。そしてシャッターを切る!”(ケイトリン・リッチ『世界の半分、女子アクティビストになる』(晶文社)より)。
「自撮りはセルフケア」を、身にしみて実感した思い出がある。私には精神的ダメージから流動物しか喉を通らなくなり、ちょっとばかり自暴自棄になっていた時期があった。当事、気に入らない他人のセルフィーを目にしては妙にザラザラとした気持ちになったけれど、何より他人の自己表現にいちいちザラッとしてしまう自分が好きになれなかった。良くも悪くも「気になる」ということなのだから、いっそ自分でやってみたらいいと、己の心の動きに集中して観察することにした。
最初は、使ったコスメの集合写真の端っこに小さくワイプのように自撮りを載せた。コスメ好きの美容ライターがSNSに愛用プロダクトを載せるのは自然なことだし、使った結果こうなりました! という顔写真を、小さく小さく載せるぐらいなら頑張れる。そのうち「メイクの詳細が見えない」と大きい写真を載せるようリクエストされたけど、一足飛びにどーんと載せる踏ん切りはつかず、物の写真をスワイプすると顔が出てくる設定にした。こんな気持ちでこの色を選び、ここに塗ったという変化が記録されることで、自分のバイオリズムの記録になったし、毎日のささやかな自己表現が楽しかった。メイク日記のつもりで始めた習慣は結構長続きし、他人の自撮りにザラッとしなくなったのはもちろん、自己否定の沼からも這い出ることができた。
美容ライターとして、企画のために読者モデルのブログやSNSを大量に見ることがある。いわゆる“F1層”と言われる20~34歳の女性向けファッション誌の読者の場合は、肌質やメイクの好みがある程度分かる一枚をすぐに探し出せる。一方、読者のプロフィールに「夫、長男◯歳、長女◯歳と4人暮らし」みたいに家族データを書くのが当たり前の主婦系雑誌の読者だと、遡っても遡っても本人の写真が出てこないことがよくあった。インテリア、料理、子ども、服(着用写真ではない)。暮らしぶりは伝わってきても、人となりがなかなか浮かび上がってこない。どっちが良くてどっちが悪いというのはないが、面白い傾向だなと思う。
ちなみに、最近はとんと自撮りをしていない。園芸にハマって、顔を撮る時間で花を撮るようになったからだ。あとは、自分の投稿履歴が、物と顔ばかりなことに対して、しっくりこなさを感じるようになったというのもある。それでもやっぱりある時期の自分にとっては間違いなく「自撮りはセルフケア」だったと断言できる。自意識過剰だったわけでも自己顕示欲が溢れていた訳でもなく、ただただ自分の顔とメイクの記録を楽しむ過程で癒えていった。一方で、今は自撮りしないからといって、セルフケアができていないとか自分の顔が好きではないということでもない。人には、自撮りというカジュアルなセルフポートレイトが必要な時期と必要ではない時期があって、どちらも誰に恥ずべきところもなく誇っていい。ただそれだけの話。