<曲面絵画> 異国を彷徨う画家が描く滋賀の風景画 #巡る滋賀

<曲面絵画> 異国を彷徨う画家が描く滋賀の風景画 #巡る滋賀

滋賀県の最大の魅力といえば、滋賀県の代名詞でもある日本最大の湖・琵琶湖。その他、国宝の「彦根城」やユネスコ世界文化遺産の「比叡山延暦寺」など一度は訪れたい観光スポットもまた有名です。

でも、それだけではありません。有名観光スポット以外に焦点を当て深掘りすると、まだまだ知られていない注目ポイントがたくさん! それを知らないなんてもったいない…!

この連載では、「現地の方がおすすめしたいスポットやお店、それをつくるヒトの魅力をていねいに取材し、お届けする滋賀の観光ガイド“巡る滋賀”」の情報を発信していきます。

滋賀県への旅のきっかけやガイドブックとなりますように…そんな思いを込めて滋賀県の新たな魅力をお伝えします。

絵画って四角い平らなキャンバスに描かれている印象がありますよね。

“絵画はどうして平らでないとだめ? 輪郭は直線、角も直角? 単に利便性? 平面より不規則な形でおまけに表面が湾曲しているキャンバスは作りにくく収納もかさばるから?” (引用元:ブライアン・ウィリアムズ『曲面絵画誕生』, 2011, p.8)

「曲面を使った絵画はなぜないの?」

みなさんはそんなことを考えたことはありませんか?

ともすると単純すぎてなかなかそんな考えにたどり着かない、そんな問いに挑戦している画家が、滋賀・琵琶湖西岸の里山に居を構えて今も活動されています。その方の名はブライアン・ウィリアムズさん。なんとペルー生まれのアメリカ人です。

アメリカの学生時代に絵画や版画の基礎を学び、玄米食など自然食や東洋美術、中でも水墨画や木版画に興味があったことから、片道切符と300ドルだけを持って来日して40年。京都の北野天満宮や東寺の縁日などで自作の絵を売ったり、英会話講師や翻訳の仕事をしながらも、こつこつと個展を開催。美術館での展覧会の開催や画集の出版など画家としての経歴を積み上げてきた彼がたどり着いたのが「曲面絵画」という新しいフィールドでした。

日本で生活している中で惹かれた日本の自然や田舎の風景、農家の暮らし、そして人工的・直線的な建造物ではない自然が作り出す曲線美。日本人ではないブライアンさんが感じてきた日本の、そして滋賀への想いをご紹介していきます。

ペルー生まれのブライアンさんは、ご両親が宣教師でかつ、父親は学校の校長先生、母親も教師で牧師をされて、12歳まではペルー、16歳まではチリで生活されていました。高校2年生からは親元を離れ、カリフォルニアで学生生活を送り、大学はカリフォルニア大学で美術を専攻することに。

「多感な年代である大学時代ではいろんなことに影響を受けました」と当時を振り返るブライアンさん。折しもベトナム戦争でアメリカが揺れていた時代。政治はもちろん、宗教や国のあり方を問われ、産業化に突き進むことで生まれる弊害もたくさんあったと仰います。自身も医療のミスで眼鏡がないと生活ができないようになったといいます。

「産業化により添加物がたくさん入った食品が問題になり始めたころで、興味を持った自然食、特に玄米食にはまったんです」
「日本の伝統食である、味噌汁、梅干し、海藻類、そして玄米食ですね」

もともと東洋美術を学ぶ中で日本の水墨画や木版画にも興味があり、より海外で異文化に触れてみたいと強く思うようになったブライアンさんは、卒業を目前に日本行きを決意。英会話の講師で生計を立てられるのではという目論見もあり、今ある財産を全て処分。2か月の観光ビザ、片道切符と300ドルだけを持って日本の地を踏むことに。

「日本もちょうど高度経済成長期にあたるタイミング。ハングリーだし、いい意味でおおらかでね。なんとかなると思いましたよ」

初めて来た頃の日本の印象はどうでしたか?と尋ねてみました。

「全てが小さい。畑も家も。可愛らしい。(笑)」
「伝統的な建築物はやっぱりいいと感じました。特に瓦はかっこいいと思ったね」
「あと日本人は親切で慎み深い。やっぱり治安もいいしね」
といったあと、意外にもペルーでの幼少期の幼馴染と共通するところがあると仰いました。

「遠慮深いからなのか親しくなるのに時間がかかるけど、友達になったらとことん付き合うっていうのかな」

子どもの頃からを振り返ってみると、アメリカ人なのですが、幼少期は南米を点々とし、青年期はアメリカに、そして日本へ。その体験からか、常に「異人」だったと仰います。「やはり子どもの頃はいじめられることもありました。でもそれは人間が持っている本能のようなものですよね。異質なものを排除する特質っていうのかな」

それでも年を重ねて大人になると、「異人」であるメリットがだんだんと見えるようになってきたといいます。

「『いろんな水槽で泳げる魚』というのかな。ラテンの文化にも切り替えられるし、アメリカの文化、日本の文化にも切り替えられる。特に日本には50年も住んでいるしね。特に関西にはね。」「だから異文化に飛び込みことが苦ではなかったし、稼げれば何とかなると思ってた」

スタートは京都での英会話講師でしたが、スペイン語もできることから翻訳の仕事もするようになり、その中で少しずつ絵も売れるようになったと仰います。北野天満宮や東寺の縁日の露店で販売したり、当時観光客が増えていた大原の道沿いで絵を売っていたこともあったよう。

3年目には結婚、お子さんもでき、4年目にはそごう・高島屋といった百貨店で個展を開催するに至り、6年目には絵描きとして専業で稼げるようになったとのこと。順調な京都の暮らしから12年後には滋賀・大津へ移住されたのですが、惹かれた理由はどのあたりだったのでしょうか。

「京都もそうだけど、山間の田舎も、盆地や谷底に位置することが多く広がりがあまりない。日も暮れるのが早かったり、湿気が多かったり。今住んでいる大津・伊香立の地を見つけた時はここだと思ったよ。丘陵地にあり、琵琶湖が一望。広がりがあるよね。遠くに伊吹山が望めることもあるしね」

「僕はその土地が性格や考え方に影響を及ぼしていると考えていて、近江商人の視野の広さはその辺りにあるのではと思っているよ。僕なりの考えだけどね」

初めのころは伝統的な寺社仏閣を描いていたのですが、滋賀にある農家の茅葺きの家を見て一目ぼれをしたといいます。

「もうね、シンプルな素材でかつ洗練された技術と感性で作られ、そして佇む姿を見て、一瞬で恋に落ちちゃった。本当に美意識が高い建築物だと思う」

当時の滋賀にはまだまだそういった茅葺きの民家や棚田や小川といった日本の原風景ともいえる光景がたくさん残っていたそうで、その土地で生活する人と自然が紡ぐ表情に心を打たれたと仰います。

「でもね、その景色も大半は無くなっちゃった。神社仏閣やお茶や生け花などの伝統文化も大事だけれども、僕が興味を持つのは生活にねざした部分、民芸なんだよ」

寺社などの歴史的な建築物は残されていくが、茅葺きはこの50年でその9割以上は姿を消したといいます。昔の棚田も田んぼも農地改良されて直線化になってしまい、河川も直線化・堰堤化したことで、琵琶湖でも消えた景観はたくさんあったことでしょう。

ブライアンさんはそんな消えゆく景観、歴史の流れを描き留めるベく、作品を創り続けているのです。

 作品名『久多の秋』
 作品名『田植え待つ』

 (写真提供:ブライアン・ウィリアムズ)

ディープな滋賀の魅力に出会える! 人気連載「巡る滋賀×キレイノート」の他記事は#巡る滋賀からご覧いただけます!

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