<巡る滋賀×キレイノート>琵琶湖で生まれる宝。JINBO PEARLS
滋賀県の最大の魅力といえば、滋賀県の代名詞でもある日本最大の湖・琵琶湖。その他、国宝の「彦根城」やユネスコ世界文化遺産の「比叡山延暦寺」など一度は訪れたい観光スポットもまた有名です。
でも、それだけではありません。有名観光スポット以外に焦点を当て深掘りすると、まだまだ知られていない注目ポイントがたくさん! それを知らないなんてもったいない…!
この連載では、「現地の方がおすすめしたいスポットやお店、それをつくるヒトの魅力をていねいに取材し、お届けする滋賀の観光ガイド“巡る滋賀”」の情報を発信していきます。
滋賀県への旅のきっかけやガイドブックとなりますように…そんな思いを込めて滋賀県の新たな魅力をお伝えします。
虹色の輝きを放つ「JINBO PEARLS」。生産者と琵琶湖の自然が織りなす真珠
一つとして同じ形がなく、見る角度によって虹のように光り方が変わる。スクエアや楕円形。凹凸の輝きが重なり合い、個性的な美しさを放つ「びわ湖真珠」。
その唯一無二の魅力に惹かれ、3代目として「神保真珠商店」を継がれた杉山知子さん。2014年オープンした直営店「神保真珠商店」への想いとびわ湖真珠のこれからについて伺いました。
別ジャンルからの転身だから見えたこと
1200年前の人も愛した輝き。その歴史は、平安時代に遡ります。歌人・柿本人麻呂が万葉集に詠んだ「近江の白玉」とは、まさにこの真珠のこと。滋賀県大津市にある「神保真珠商店」は、びわ湖真珠「JINBO PEARLS」を扱うアクセサリーショップです。
「びわ湖真珠の魅力に引き込まれて、知らず知らずとここまで導かれてきた感覚です」と話すのは、神保真珠商店・3代目の杉山知子さん。1966年の創業以来、琵琶湖の淡水真珠専門店として小売を行ってきた神保真珠商店。親戚がびわ湖真珠の養殖と貿易業を営んでいたことがきっかけとなり、杉山さんの御祖父様が60歳を過ぎてから創業されたそうです。
「“いいものを紹介する”というスタンスで、当初は店舗を持たない小さな商いでしたが、周りにも好評だったと聞いています。」
びわ湖真珠は、池蝶貝(いけちょうがい)という貝の養殖によって生まれます。池蝶貝は、琵琶湖にしかいない固有種の貝。主貝となる貝の成長を待って約3年、さらに、貝の中で真珠が育つのに約3年という時間を要します。種類は、さまざまな形の核を入れる「有核真珠」、核を入れず全てが真珠層となる「無核真珠」の2つ。ヨーロッパやアメリカで高く評価され、びわ湖真珠が海外輸出ジュエリーとして需要が多い時期もありました。
1980年代後半、琵琶湖の水質悪化により、びわ湖真珠が育たなくなってしまう現象が起こります。90軒ほどあった養殖業者も、10軒程まで一気に減少したといいます。
以前は大阪にある設備設計系の会社に勤めていた杉山さん。「びわ湖真珠は、産業として上向きではありませんでしたが、祖父や父の姿を見ていて、いつかは継ぎたいなとぼんやり考えている状態でした。」
すると30代半ばの頃、転機が訪れます。当時の会社で、大阪から東京に部署ごと移転をするという話が出たことが、杉山さん自身のこれからの働き方を見直すきっかけとなりました。
「改めて、実家の状況が目に入りました。父親が『神保真珠商店』はいつか終わらせる予定だけれど、いい琵琶湖の真珠が手元にあるので、売り切ってから事業を畳みたいと話していました。私も、綺麗に商売が終えられたらいいなという意志で、家業に携わり始めました。」
こうして杉山さんは滋賀県に店舗を開き、フリーランスとして設計の仕事をしながら、神保真珠商店の仕事を手伝い始めます。けれど杉山さんが手伝い始めてから、想定以上に事業が回りだし、真珠の仕入れ量も、関わる養殖業者さんも増えました。
「養殖業者さんとゆっくりお話しする機会が多くなりました。80年代に琵琶湖での真珠産業がしんどくなってからも養殖業を継続しているのは、琵琶湖の真珠の美しさに惚れ込んでいるから。一つひとつの仕事が丁寧で、その結果が真珠の美しさに繋がっていることに気づいたのです。」
びわ湖真珠に魅了された杉山さんのデザインへのこだわりとは? 続きはこちら
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